自分自身の合気道歴のハイライト


初めて合気道のことについて聞いたことは、1978年頃で、小学校三年生のころです。当時のルーマニアは共産圏の国で、なかなかエキゾチックなスポーツを見ることがなかったが、ある時、5分ほど、合気道の画像を流した番組を見ました。大きな人たち4,5人が一人のおじいちゃんに襲いかって、それでもおじいちゃんは不思議に動き回って、掴まらずに、ダメージも受けずに楽々と彼らを投げていました。絶大な印象でした。十数年後、そのおじいちゃんの姿を思い出して、開祖の直弟子である塩田先生だったのではないかと思うようになりました。



合気道をテレビで見てから2年後、ルーマニアの合気道の道場に入ることができました。今の観光スポットであるいわゆる「国民の館」が建っている郊外にあったブカレスト体育大学の柔道場でした。 
今も、汗の強烈な臭い、技の耳慣れないかっこいい名前、「タイサバキ」というまわり方を数十分させられためまいなどを良く覚えています。めまいになれきったころに、「大分上手になった」といわれて、休ませてもらったが、何が上手になったか全く分かりませんでした。軸足に重心が乗るようになど説明してもらったかどうかも全く覚えていません。

数日後にあった次回に、前受け身を教えてもらった(これをまず覚えないと皆がしているような稽古ができないぞと)。そのときも、めまいをしてからもずっと転んでいましたが、この受け身だけは確実に身に付いたようです。数年後、4,5メートルの高さから飛んだとき、自然に転んで怪我を何一つしなかったのが証拠になります。 
しかし、道場が家から離れており、さらに稽古時間が非常に遅かったから、親が胴着を何とか調達してくれる前に、 一ヶ月ほどでやめてしまいました。

その後は、道場が崩壊され、武術自体が禁じられました。1989年の革命以降、合気道の道場ができたと聞いて直ぐ、再び入門し、あれからは休む期間がほとんどなく続けています。

現在は京都に住んでおり、三カ所の稽古に参加しています。池田憲夫師範がご指導される豊中和氣會大阪外国語大学体育会合気道部,  また大阪合気会所属の京都大学体育会合気道部です。

日本人が合気道を必要としているかどうかについてはよく分かりません。日本人のほとんどはもともと強い意志をもっているし、他の人間と必要以上交わるがないし、また怠惰にも強いからです。しかし、その三つの点、つまり意志の強さ、他人との人間関係の持ち方、そして怠惰から見るだけでも、ルーマニア人は合気道を必要としていると思います。
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